エッジをきかせないと何も始まらない

GW明けから打ち合わせが続いている。
それも、内向きにも外向きにも色々な意味で重要な、
今後の方向性を決める打ち合わせ。
その方向性を決めながら様々なことが脳裏をよぎる。
そして、わかったこと。
エッジをきかせないと何も始まらない。
全体最適は結果論であり、狙ってやってはいけないし、やれるものじゃない。

つまり、相手を納得させて落とすためのビジョンなり方向性を示すには、エッジをきせる必要がある。
エッジのきかない“なまくら”な提案では、心に響かないし感情を揺さぶられることはない。
しかし、このエッジをきかせるためには、潔く捨てる・そぎ落とさないといけない部分も出てくる。
これって、おうちのお片付けの断捨離といっしょで、潔く捨てられない、そぎ落とせないで困っている場面によく出くわす。
それで、捨てられなくて、そぎ落とせなくて、あれもこれもと言っているうちに、結局エッジはきかないどころか、
なまくら街道一直線になる。
そうなると、方向性もあったもんじゃないし、相手を納得させられるわけないし、全体最適どころか部分最適にも及ばない。

しっかりエッジをきかせるからこそ、相手の心に響き、それが結果として全体最適につながる。
そんなことを思いながら、先日、美術館でみた北野恒富の「宵宮の雨」を思い出すのであった。